【世界遺産・日光】
日光は、下記に示す「世界遺産の日光」として有名であるが、元より、日光は平成の大合併で、2006年には旧日光市、今市市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の新日光市が発足している。 その市域面積は栃木県はおろか、関東地方全体でも最大で、全国の市では高山市と浜松市に次いで全国第三位、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有しているのである。 本稿は、世界遺産の日光は元より、現在の日光市全域の地域や自然、歴史、文化など多岐にわたり、「日光大紀行」と銘うって、出来るだけ詳しく述べていくつもりです。 乞う、ご期待・・!!。
「日光の世界遺産」 世界遺産・日光のロゴマーク |
1998年(平成10年)5月、世界遺産登録推薦にさきがけて「日光山内」として、国の史跡に指定された。
従来、建造物については国宝や重要文化財に指定され、保護が図られている山内地区であったが、面的な保護策は講じられていなかった。
そこで、文化庁、栃木県教育委員会、専門家、学識経験者が協議し、二社一寺をはじめとする土地所有者、土地占有者ならびに関係者等の協力を得て日光山内50.8ヘクタールが文化財保護法にもとづく史跡指定を受けた。
その年の12月、モロッコのマラケッシュ市において、第23回世界遺産委員会が開催され、国の文化財・「日光の社寺」として世界遺産に登録された。
世界遺産に登録された「日光の社寺」の内容は、日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」である。
「日光の社寺」の登録基準としては、世界遺産条項の以下の3つに該当すると判断され、推薦された。
登録基準1; 「人間の創造的天才の傑作を表現するもの」という基準。 (基準条項の1)
日光の建造物の多くは、17世紀の日本を代表する天才的芸術家の作品群で、彫刻師の左甚五郎、日本画の狩野探幽や大工棟梁の甲良豊後守宗広(こうらぶんごのかみふねひろ)など、江戸時代を代表する天才的芸術家であるとした。
登録基準2; 「人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは景観に関する優れた見本であること」という基準。(基準条項の4)
東照宮の本社と大猷院霊廟は本殿と拝殿、それをつなぐ石(相)の間という3つの建築が一つになった「権現造り」という様式ですが、その後の日本古来の建築様式の重要な見本となっている。また、全体としての建造物群は、周辺の杉の大木と一体となって見事に配置されており、日本を代表する宗教的建築群といえる。
登録基準3; 「普遍的な価値をもつ出来事、伝統、思想、信仰、芸術に関するもの」という基準。 (基準条項の6)
「日光の社寺」の内、二荒山神社や輪王寺に観る千数百年に及ぶ歴史的、宗教的価値観が現在にまで営々として継承されていて、併せて、それらの社寺建築物が改変を遂げながらも様式として残されていること。
又、東照宮や大猷院(輪王寺に包括)に観る、徳川将軍家の祖・家康や家光が眠る墓所として、代々の将軍の社参や朝廷からの例幣使の派遣、朝鮮通信使の参詣などが行われ、江戸時代の政治体制を支える重要な歴史的役割を果たした場所であること。
これらをとりまく自然環境は、山や森を神格化しようとした日本独特の神道思想と密接に関係するもので、なんとも言えない文化的役割を果たしている。 併せて、これらの自然環境は、山や森を神格化しようとした日本独特の神道思想と密接に関係するもので、なんとも言えない文化的役割を果たしているのである。
日光の世界遺産
建物群 ★ 日光二荒山神社(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む) ★ 日光山輪王寺(大猷院霊廟を含む) ★ 日光東照宮
遺跡(文化的景観) ★ 日光山内の建造物群周辺の山林地域
併せて、103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が登録されている。
この中で、国宝と重要文化財(昭和25年制定の文化財保護法による)に指定されている建築物の数は次の通り。
★ 日光二荒山神社 23棟が重要文化財 ★ 日光山輪王寺 3棟が国宝、37棟が重要文化財 ★ 日光東照宮 8棟が国宝、34棟が重要文化財
登録の範囲 登録資産の面積 50.8ha 緩衝地帯の面積 373.2ha 合 計 424.0ha
緩衝地帯(バッファーゾーン)とは、指定された世界文化遺産が、物理的にも景観的にも損なわないようにと指定される周辺地域一帯を指す。 日光では「山内」と呼ばれる地域一帯が指定されることになり、この中に国宝が9棟、重要文化財が94棟からなる歴史的に価値のある建造物がある。
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